運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login
297件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

1980-02-22 第91回国会 衆議院 予算委員会 第17号

ですから、私は費用対効果の問題だと申し上げたので、いまあなたがおっしゃったように、二十七年に行政管理庁が生まれましたが、これは戦後経済調査庁やみ取り締まりのためにできた役所です。同時に、朝鮮、満州等外地帰還引き揚げ者失業救済の意味もあって、それでブロック単位の局をつくると同時に、府県単位にも全部局をつくりました。

河村勝

1980-02-22 第91回国会 衆議院 予算委員会 第17号

宇野国務大臣 昭和二十七年に経済調査庁というものが廃止されております。そうしたものが変形をいたしまして行管庁というふうになってきたことは御承知だろうと存じます。しかしながら、経済調査庁とはおのずからその目的、使命が今日では大きく変貌いたしまして、ただいま会計検査院と一緒の仕事をしておるんじゃないかというような仰せでございますが、全く違います。行管庁は、今日わずか千五百弱であります。

宇野宗佑

1978-04-13 第84回国会 参議院 法務委員会 第7号

政府委員伊藤榮樹君) 御指摘のすでに廃止になっております経済調査庁法の第二十四条というところに、経済調査官に対しまして、経済法令に関する違反事件調査のために、裁判官の許可状を受けて警察官または警察吏員と同行して、その者に違反嫌疑者逮捕を求める権限等が定められておったのでございます。

伊藤榮樹

1976-06-09 第77回国会 参議院 決算委員会 閉会後第1号

いま御指摘昭和二十七年の千七百七十七名という時代は、これは例の行政管理庁ができて二、三年を経過した時期に、経済調査庁という役所がございましたが、その役所と合併をして、いわば一番ピークであった時期でございます。確かに削減計画の問題、もちろんこれは関連するわけでございますが、それは現実にはその数は昭和四十二年度末あたりの数から実は私どもは計算しておるわけでございます。

加地夏雄

1973-05-31 第71回国会 衆議院 決算委員会 第13号

木野委員 行政管理庁は、昭和二十七年に昔の行政管理庁、それと経済調査庁の関係の部門を引き継いで現在に至りているわけでありますが、仕事としましては、私の見たところ行政管理局系統行政監察局系統、この二つの分野に分かれるのじゃないかと思うのであります。両方の部門とも非常に重要であると思うのでございますが、時間もございませんので、問題をしぼりましてお尋ねいたしたいと思います。  

木野晴夫

1970-04-28 第63回国会 参議院 内閣委員会 第12号

政府委員岡内豊君) 大臣がお答えいたしました方針のとおりにやっておるかどうかということでございますが、この方針というものは、行政管理庁昭和二十七年に経済調査庁と合併いたしましたときからの基本的な考え方でございまして、私どもはその方針に従って業務を運営しておるということでございます。

岡内豊

1968-03-01 第58回国会 参議院 決算委員会 第3号

次に、このプリントによりまして、まず第一に機構でございますが、沿革は若干書いてございますが、二十七年八月に、従来の行政管理庁監察部経済調査庁を吸収いたしまして、中央管区地方の全国的な組織に改組されまして、その後監察強化のための設置法改正が数次行なわれまして、現在に至っております。  

諸永直

1965-03-30 第48回国会 衆議院 法務委員会 第17号

この法律は二十二年の八月に廃止されまして、そうして経済調査庁に移管されて、それから今度は総理府管轄になっていた、今度はまたそれが大蔵省に返っていったということになっているので、それで大蔵省——昨年の六月も、ともかく総理府にお願いしてみたのですけれど、だれが責任者なのか、どこで調査ができるのか、一向わからないのです。

神近市子

1964-06-02 第46回国会 衆議院 法務委員会 第40号

ところが、この法律は二十三年の八月に廃止されて、そうして経済調査庁事務を引き継ぎ、三十七年にこれもなくなって、今日では総理府管轄になっているということであります。私は実はきょうは総理府行政管理庁ですか、それを御出席願っておいたんですけれども、いま書類を調査しなければ事情がわからないというようなことで御出席が願えなかったようでございます。  

神近市子

1956-12-12 第25回国会 参議院 内閣委員会 第9号

その後、二十七年の八月の法律改正によりまして、統計委員会経済調査庁、経済安定本部の一部であります建設局監査課を統合いたしまして、今日の行政管理庁の姿になっておるのでございます。  管理庁の大体の構成は、これも資料として差し上げてございます、「行政管理庁機構及び定員」という一枚紙がございますので、それをごらんになっていただきたいと思います。一枚紙で、「管理庁機構及び定員」というのがございます。

山中徳二

1954-11-12 第19回国会 参議院 内閣委員会 閉会後第8号

行政整理の現在の進行状況及びその影響でございますが、御承知と存じますが、行政管理庁監察部昭和二十七年八月に当時の行政管理庁監察部経済調査庁組織が合体いたしまして、全国的な組織の下に発足して参つたのでございます。地方局といたしましては都道府県に四十一の地方監察局、それから八ブロックに八管区監察局、それと中央行政管理庁監察部、こういう三段階の組織業務を運営して参つたのでございます。

岡松進次郎

1954-03-02 第19回国会 衆議院 大蔵委員会公聴会 第1号

繊維税の問題につきましては、すでに各公述人の方々が専門的知識を持つて委曲を尽しておられますから、あえて私質問をする必要はございませんけれども、ただこの税金がかかつてつた当時に、白ということがはつきりわかつておるにもかかわりませず、税務官吏や、あるいはあのときの経済調査庁のおかげで、四十日間もほうり込まれました経験を持つております私は、このことが再び繰返されることによつて、非常に業界に対する悪影響のみならず

加藤清二

1953-11-27 第17回国会 衆議院 大蔵委員会 第10号

何かそのきつかけで四国行つたときに、保全経済会自体に関心を持たれまして四国へ行かれたのかどうかわかりませんが、四国保全経済会脱税の問題を知つて東京へ帰つて来て、経済調査庁であるか何であるか、それは明確に覚えておりませんが、一応メスを入れてくれということを言われた。これは私記憶しております。

深澤衛門

1953-11-17 第17回国会 衆議院 大蔵委員会 第6号

どなたかが、お前一人ぐらいが反対したつてだめなんだということをいつて、侮辱されたようで自分はおもしろくなかつた、不愉快だつた、そういうことを考えておりましたところが、たまたま四国に出張いたしましたときに、四国税務署保全経済会脱税問題を取上げておつた自分もそのことを聞いて、それは脱税なんだということで、自分東京に帰つて来て、たしか関東財務局ですか、私ははつきり記憶がありませんが、あるいは経済調査庁

古屋貞雄

1953-11-17 第17回国会 衆議院 大蔵委員会 第6号

つくりごとだと申しますが、四国行つて税務署脱税問題があつたとか、関東財務局ですか、経済調査庁ですか、そこへ行つたとかなんとかいうことは、全然つくりごとではございません。ただそれがたとえば金をもらつて帰つたとか、もらつて帰らぬとかいうことは、言葉のあやで、強く言うたか、軽く言うたかという問題はあるでしよう。

古屋貞雄